過去の自分を3回に分けてふり返るシリーズ。
今回はその2、
私の人生で最も辛かった20代をふり返ります。
百人百様の発達障害者の1事例として読んでいただければ幸いです。

暗い内容のため感情的に影響を受けやすい方、体調不良の方は、精神・肉体的に余裕のある時にお読みください

転職10~15社 やりたい仕事が自分に合わないことに気づかず自爆
発達障害の診断前の20代は
ひと言でいうと
暗黒時代。
生き地獄のような20代でした。
簡単に20代の10年間を振り返ると、
学校を卒業、就職
↓
職場で不適応
自分の努力(勉強)が足りないんだ!
↓
学校に入る、卒業、就職
↓
職場で不適応
自分の努力(勉強)が足りないんだ!
↓
学校に入る…
という、無限ループ。
転職が多すぎて途中で数えるのをやめましたが
おそらく
10~15社くらい転職したと思います。
自分(の特性)に合わないことに気づかないまま
興味のあるナースや相談員の仕事を選んでしまって転職のくり返し。
職場に定着できず、経済的にも精神的にも追い込まれて、うつ状態にまで陥り再起不能寸前になり。
20代といえば、
社会に出てバリバリ働きキャリアを積み上げたり、
プライベートでは友達や恋人とたくさん遊び、旅行したり
人によっては結婚して子育てをしたり。
若さ・体力・エネルギーに満ち溢れる20代。
そんなイメージとはかけ離れすぎた
貧困にあえぎ、お金がないので友人とまともに遊べず、転職が多すぎて周りから呆れられ、友人も離れていき(自ら遠ざけ)、
恋人もできず、世の中から取り残されたような気がして焦りと不安で気が狂いそうだった。
…本当にみじめでした。
朝は相変わらず起きられなくて遅刻が多く、
仕事も臨機応変に動けず、
もの覚えも悪く、
女性ばかりの職場にも馴染めず、
嫌がらせをされ、仲間はずれにもされて深く傷つきました。
1日や5日で辞めた職場もあります。
私は社会不適合者なんだ、と。
そして職場や仕事でうまくいかない原因は、
自分の勉強不足、努力不足なんだ
と本気で思い、
自分を責め続けていました。
人が好きで、
人と関わる仕事・人をサポートする仕事がしたかった。
まわりも似た業界・職種の友人が多く
1度決めた方向を変えることなど思いつきもしませんでした。
ちっぽけなプライドも許さなかった。
何よりも、
医療福祉以外の世界を知らなかったし、世間知らずで、
視野も住む世界も本当に狭かった。
2003年頃にPCを買ってインターネットにつなげたものの、
発達障害のことは全く知らないまま時が流れてしまいます。
自殺企図、精神科を受診
20代半ばにはうつ状態に陥り、だまし騙しやり過ごしていましたが、
ついに限界を超えました。
ある日
指1本動かせないほどの寝たきり状態になってしまったのです。
ひとり暮らしの団地に親が心配して駆けつけてきましたが、
ベッドから起き上がることも出来ませんでした。
心配した(当時の)友人がドアノブに、
食料や手紙をかけに来てくれた時は号泣したな…
(ありがとう…)
ようやく精神科を受診したのは27~28歳の時。
うつで食べられず体重が20キロも落ちてガリガリに痩せこけて、
寝たきりで部屋の天井をぼんやり眺める毎日。
人間は痩せすぎると横向けで眠れなくなることを初めて知りました。
(横に向くと腰の骨がゴリゴリ当たって痛い)
そんな自分がみじめで嫌で、
自分の人生をどうにかしたかった。
けど、どうしたら良いのかわからないまま時間だけが過ぎていった。
包丁で自分の胸や腹を突き刺すイメージを何度もして、
キッチンへいって包丁を手首や胸に何度も当てて死のうとしていました。
包丁の先端を、胸の真ん中へ突き刺そうとした。
ひとり暮らしで住んでいた団地の屋上へ行き、柵を乗り越えようと柵に腰かけ、前かがみになって下の地面を見つめたことも。
1歩ふみ出せば10階から飛び降りることができました。
…けれど
怖くて、
死ぬことはできませんでした…
死ぬ勇気のない自分を責めました。
意気地なし、小心者、半端者と。
自分の人生をどうにか立て直そうと、
命を振りしぼる気合いで
25歳で大学へ編入、29歳で専門学校にも通います。
けれど最初の方で書いた通り、
学校を出て社会に出るとまた不適応を起こして、
自分の努力が足りない・勉強が足りない、と自分を責めてまた学校を出て、
また会社で不適応を起こして…のくり返し。
ただ、
学び続けてきたことが、後々の自分を助けてくれることになります。
ついに「発達障害」に出合う
20代で
①短大(20歳で卒業)
②看護学校
③大学
④専門学校
に通いました。
すべて医療福祉系の学校(学科)。
にもかかわらず、発達障害についてしっかり習ったのは20代の最後に通った④専門学校のみでした。
①~③の各学校でそれぞれ精神医学、精神保健、社会福祉について学んだけれど、今なら必ず学習するであろう【発達障害】について習うことはなかった。
③大学は社会福祉学科で、
「児童福祉」で自閉症についてちょこっと習った覚えがあります。
その頃(2007~2008年)もまだ【自閉症は子どもの障害】
という考え方でした。
2000年代当時、医療福祉の世界でもまだまだ【大人の発達障害】はほとんど知られていませんでした。
そしてついに発達障害に出合います。
2009年(④専門学校)、29歳の時。
精神保健福祉士(PSW)の専門学校でした。
これが私にとって、人生の転機になります。
まとめ

今回は、20代を簡単にふり返りました。
書いている途中で当時を思い出して涙が出てきたけれど、
書き終わりそうな今、気持ちが少しスッキリしています。
20代の10年間、
もがき苦しみながらも
自力で貯めたお金で看護学校を卒業し、
大学に編入して2年間で過密授業(単位)をクリアし、社会福祉士(国家試験)にも合格。
再び自力でコツコツ貯めたお金で専門学校へ通い、精神保健福祉士(国家試験)にも合格したこと。
(20代は障害年金はもらっていなかった)
本当によくがんばったね。
20代の頃の自分をねぎらいたい、褒めたい。
最後に。
あの時、あと1歩を踏みとどまってくれてありがとう。
絶望のただ中で苦しい毎日を必死で生きた20代の自分を抱きしめたい。
死ななかったあなたには今、かわいい娘がいるよ。
29歳の時に【発達障害】に出合ったことで
私の人生が動き出します。
次回は30代の10年間をふり返ります。
ここまで読んでくれてありがとうございました!
★こちらのサイトにも私の体験談が載っているのでぜひご覧ください
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